あべさく小説。 Snow Manの仲良しコンビを大調査!いわふか、めめこじ、あべさく、ゆり組etc……いくつ知ってる?

snow×manⅠ

あべさく小説

餃子の調理中 1954年 誕生 安部 公房 あべ きみふさ ・ 現・ 死没 1993-01-22 (68歳没) ・ 墓地 ・ 職業 言語 国籍 教育 最終学歴 卒業 活動期間 - ジャンル 文学活動 代表作 『』 1951年 『』 1962年 『』 1964年 『』 1967年 『』 1967年、戯曲 『』 1972年 『』 1977年 『』 1984年 主な受賞歴 1950年 1951年 1958年 1963年・1975年 1967年 1968年 1972年 デビュー作 『終りし道の標べに』 1948年 配偶者 安部真知子 安部真知 1947年 - 1993年 子供 安部ねり 長女 目次• 概要 [ ] で生まれ、で少年期を過ごす。 高校時代からとに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、の方法を身につけるなど作品の幅を広げ、らとともにの作家とされた。 作品は海外でも高く評価され、世界30数か国で翻訳出版されている。 主要作品は、小説に『』 芥川賞受賞 、『』 受賞 、『』、『』、『』、『』など、戯曲に『』、『』、『』、『』などがある。 演劇集団「安部公房スタジオ」を立ちあげて俳優の養成にとりくみ、自身の演出による舞台でも国際的な評価を受けた。 晩年はの有力候補 と目された。 生涯 [ ] 生後まもなく満洲へ [ ] の両親 をもつ安部浅吉と井村よりみの二男二女の長男として、 大正13年 3月7日、 現・ に生まれる。 本籍地は北海道 (現・。 大正12年 、満洲医科大学 現・ の医師であった浅吉は勤務先のから一時出向していた東京でよりみと結婚。 翌年、よりみは公房を妊娠中に唯一の小説『スフィンクスは笑う』 異端社 を上梓するが、以後は一切の筆を折った。 大正14年 、生後8ヵ月の安部公房は家族と共に満洲に渡り、奉天の日本人地区で幼少期を過ごした。 小学校での実験的な英才教育、「」の理念は、後に安部の作品や思想へ大きな影響を及ぼした。 昭和12年 4月、旧制奉天第二中学校に入学。 奉天の実家にあった新潮社の世界文学全集やの近代劇全集などを読み、とくにの作品に感銘を受ける。 昭和15年 、中学校を4年で飛び級して卒業。 日本に帰国し 現・ 理科乙類に入学。 ドイツ語教師・ の実弟 からの影響で戯曲や実存主義文学を耽読する。 在学中、の『解析概論』を愛読し、成城始まって以来の数学の天才と称された。 同年冬に、軍事教練の影響で風邪をこじらせを発症。 一時休学し、奉天の実家に帰り療養。 恢復を待って 昭和17年 4月に復学。 同年12月9日、エッセイ『問題下降に依る肯定の批判』 を書き、翌年2月に発行された高校の校友会誌「城」の第40号に掲載される。 これが安部の活字化された最初の作品となった。 昭和18年 3月、戦時下のため繰上げ卒業。 この頃、安部の初の小説とされる『 霊媒の話より 題未定』を書く。 同年10月、医学部医学科に入学。 、文科系学生の徴兵猶予が取り消されて次々と戦場へしていく中、「次は理科系が徴兵される番だ」という想いと「敗戦が近い」という噂から家族の安否を気遣い、同年末に大学に無断で満洲に帰るが、友人がをして取り繕ってくれていた。 昭和20年 、奉天で開業医をしていた父の手伝いをしていた頃にが届くが、前にの終戦を迎えた。 同年冬、が大流行して、診療にあたっていた父が感染して死亡する。 昭和21年 、敗戦のために家を追われ、奉天市内を転々としながらサイダー製造などで生活費を得る。 同年の暮れににて帰国。 北海道の祖父母宅へ家族を送りとどけたのち帰京する。 以後、安部は中国を再訪することはなく、小説家としても満洲における体験を書くことはなかった。 帰国・作家デビュー [ ] 昭和22年 3月、女子美術専門学校 現・ の学生で日本画を専攻していた山田真知子 後年、安部真知名義で安部の著書のや芝居の舞台美術を手掛ける と結婚し、それまで真知子が住んでいたアパートで同居生活を始める。 同年、安部は満洲からの引き揚げ体験のイメージに基づく『無名詩集』を、印刷により自費出版する。 やの影響を受けたこの62ページの詩集には、失われた青春への苦悩と現実との対決の意思が強く込められていた。 昭和23年 、東大医学部を卒業。 ただし、医師にならないことを前提とした条件付きの卒業単位付与であり 、医師国家試験は受験しなかった。 同年、安部は「粘土塀」と題した処女長篇を、成城高校時代のドイツ語教師・阿部六郎のもとに持ち込んだ。 この長篇は、一切の故郷を拒否する放浪の末に、満洲の匪賊の虜囚となった日本人青年が書き綴った、3冊のノートの形式を取った物語であったが、阿部六郎はこの作品を文芸誌『』の編集者の1人であるに送った。 埴谷はただちに安部の才能を認めたが、当時の「近代文学」の編集は合議制であり、埴谷は同人のに却下されることを危惧し、他の雑誌へ安部を推挙した。 その結果、「粘土塀」の内の「第一のノート」が翌年2月の「個性」に掲載された。 これが安部にとってはじめての商業誌への作品発表となる。 これがきっかけとなり、安部は埴谷、、らが運営する「夜の会」に参加。 埴谷、花田らの尽力により、10月、「粘土塀」は『終りし道の標べに』と改題され、真善美社から単行本で上梓された。 昭和24年 4月、初めての手法を採り入れた短篇小説、『デンドロカカリヤ』を発表する。 1950年代・芥川賞受賞 [ ] 『毎日グラフ』1954年9月1日号より 昭和25年 、やらと共に「世紀の会」を結成。 埴谷によると、この時期の安部は食うや食わずの極貧で、をしながら何とか生活をしているという有様であり、埴谷は幾度か安部に生活費をカンパしたほどだったという。 同年夏ごろ、に入党。 昭和26年 、「近代文学」2月号に安部の短篇「」が掲載される。 これは、の「」に触発された作品であり、テーマとして満洲での原野体験や、花田清輝の鉱物主義の影響が見られる超現実主義的な内容である。 「壁 - S・カルマ氏の犯罪」は1951年上半期の第25回の候補となり、選考委員のからは酷評されたものの、との強い推挙が決め手となり、同じく候補に挙げられていたの『春の草』とともに受賞を果たす。 川端は『壁』のような作品の出現に今日の必然性を感じ、新味があり好奇心をそそったとしている。 同年5月28日、この短篇は「S・カルマ氏の犯罪」と改題され、短篇「バベルの塔の狸」と、4つのパートからなる中篇「赤い繭」を加え、の序文、勅使河原宏による装幀、の挿絵を得て、安部の最初の短篇集『壁』が刊行された。 同年、友人である赤塚徹の伝手で画家のがに所有していた敷地内の納屋を借り、真知や友人たちの手を借りて改装し転居する。 11月、短篇小説『闖入者』を発表。 1952年 昭和27年 5月、、、、らとともに『』に参加。 『人民文学』が『新日本文学』と合流した後はに移る。 6月、短篇小説『』を発表。 劇作への傾倒 [ ] 1955年、劇団俳優座による『どれい狩り』公演。 右手前は閣下を演じる。 昭和28年 3月、短篇小説『』を発表。 7月、初の戯曲作品『少女と魚』 を発表。 以後盛んに劇作をおこない、推敲を重ねて改作し様々な媒体で発表するようになる。 昭和29年 2月、長篇小説『飢餓同盟』発表。 同年、長女誕生。 真知の発案で宮沢賢治の「」から採った「ねり」と命名する。 12月、小説『奴隷狩』 を翌年3月にかけて発表するが中絶。 昭和30年 3月、戯曲『制服』 を発表。 6月、前年に未完のまま中絶していた小説を戯曲『どれい狩り』 として発表、によって上演される。 7月、小説『闖入者』を沼田幸二との共同脚本によるラジオドラマとして放送。 同月、短篇小説『棒』を発表。 8月、戯曲『快速船』 を発表。 昭和31年 4月、の借家に転居。 同月17日、新日本文学会と国民文化会議の代表としてチェコ作家大会参加のためを訪問、スロヴァキア各国を周り6月24日に帰国する。 11月から12月にかけてラジオドラマ『耳』および『口』 が放送される。 昭和32年 2月、前年に訪問した東欧の印象をまとめたエッセイ集『東欧を行く ハンガリア問題の背景』を刊行。 4月、長篇小説『けものたちは故郷をめざす』を発表。 5月、花田清輝、、関根弘、、勅使河原宏、長谷川龍生らと「記録芸術の会」 を結成する。 6月、短篇小説『夢の兵士』発表。 同月、子供向けのラジオドラマ『キッチュ・クッチュ・ケッチュ』 をほかの出演で放送。 7月、『夢の兵士』をラジオドラマ化した『兵士脱走』放送。 11月、短篇小説『鉛の卵』発表。 同月、小説『棒』を戯曲化したラジオドラマ『棒になった男』 放送。 12月、1954年から1957年にかけて書かれたエッセイをまとめた単行本『猛獣の心に計算器の手を』刊行。 昭和33年 1月より『群像』にエッセイ『裁かれる記録 映画芸術論』 を1年間連載。 6月、戯曲『』を劇団俳優座により上演。 7月、長篇小説『』を発表。 10月、短篇小説『使者』を発表。 昭和34年 3月、前年発表の『使者』が『人間そっくり』として戯曲化される。 4月、勅使河原宏から譲り受けた若葉町の敷地に真知の設計になる新居を建て、家族とともに転居する。 5月11日よりにて子供向けのラジオドラマ『ひげの生えたパイプ』 をほかの出演により放送。 8月23日よりミュージカル『可愛い女』 をの演出、の音楽、ほかの出演で上演。 10月、ラジオドラマ『兵士脱走』をの演出によりテレビドラマ化した『日本の日蝕』 をNHKにて放送。 1960年代・世界の前衛へ [ ] 昭和35年 3月、前年放送のドラマ『日本の日蝕』を再び戯曲化し、舞台劇『巨人伝説』 として劇団俳優座により上演。 6月、長篇小説『石の眼』を発表。 9月、短篇小説『チチンデラ・ヤパナ』を発表。 同月より子供向けのラジオドラマ『お化けが街にやって来た』 をほかの出演により1年間放送。 10月20日、の手法を採り入れたテレビドラマ『』放送。 同月26日、をテーマとした戯曲『石の語る日』を千田是也の演出、林光の音楽、ほかの出演により、中国にて試演。 翌27日には小説「赤い繭」をラジオドラマ化した『ラジオのための作品 赤い繭』をの音楽、ほかの出演で、NHK第2放送およびNHK-FM実験放送にて放送。 12月15日、初めて自己の年譜を書く。 クリスマスには子供向けのミュージカル・コメディ『お化けの島』 をほかの出演にて上演。 昭和36年 、日本共産党が綱領を決定したに批判的な立場をとり、党の規律にそむいて意見書を公表し、その過程で党を除名される。 4月、短篇小説『無関係な死』を発表。 7月から9月にかけて福岡県の三菱鯰田鉱業所にて『煉獄』の脚本を改作した映画『』 勅使河原宏監督作品 のロケ撮影が行なわれ、安部もエキストラ出演する。 砂の女 [ ] 昭和37年 、昆虫採集の途次に迷い込んだ村に閉じ込められ、そこから脱出を図ろうとする教師とそれを阻もうとする村人を描いた『』を発表。 以後は創作活動の比重を書き下ろし長篇に移し、都市に住む人々の孤独と他者との通路の回復を主たるテーマとして、次々と実験精神あふれる作品を発表し、国際的な評価を得るようになる。 昭和39年 発表の『』では事故で顔を失った男が引き起こす騒動を、 昭和42年 の『』では失踪者を追う興信所員を主人公とその両者の末路を書いた。 1970年代・安部公房スタジオ [ ] 『仔象は死んだ』が上演された、ラ・ママ実験劇場 ニューヨーク、2006年撮影 昭和45年 、に自動車館のとして参加する。 昭和46年 3月より新潮社の雑誌『』に「周辺飛行」と題するエッセイの連載を開始する。 昭和47年 、段ボール箱を被ったまま生活する男を描いた小説『』を発表。 昭和48年 、自身が主宰する演劇集団「」を発足させ、本格的に演劇活動をはじめる。 発足時のメンバーは、、、、、、、、、、、、の12名であった。 以後安部公房スタジオはの後援のもとで渋谷西武劇場を本拠地として活動する。 昭和50年 5月14日、アメリカ・から名誉人文科学博士称号を授与される。 また、この年の6月に連載が完結した「周辺飛行」を再編集した単行本『』を11月に刊行。 昭和52年 、病院を舞台とし、奇妙な病気にかかった患者とその治療に当たる奇妙な医者たちを描いた『』を発表。 同年、の名誉会員に推挙される。 また、写真家のがにあった安部公房スタジオの稽古場を訪れ、安部のポートレイト を撮影する。 昭和54年 5月、安部公房スタジオを率いて渡米。 セントルイス、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、デンバーで行なった『仔象は死んだ』の公演はその斬新な演劇手法が反響を呼んだ。 1980年代・箱根での日々 [ ] 1980年以降は、文壇との付き合いをほとんど断ち、真知とも疎遠となり、のを見下ろす高台に建てた山荘を仕事場として独居するようになる。 昭和57年 、自身の体調不良を理由に安部公房スタジオの活動を休止する。 昭和59年 11月、シェルター構想などをモチーフとしてで執筆した初めての小説『』を発表。 昭和60年 1月、NHK「」にテレビ出演する。 番組では箱根での仕事ぶりが紹介され、以後も1987年まで同局の番組に数回出演した。 昭和61年 9月、1980年代に書いたエッセイやインタビューをもとにした単行本『死に急ぐ鯨たち』を刊行。 以後はいくつかのエッセイや寄稿を残して80年代を締めくくる。 1990年代・最晩年 [ ] 平成3年 、奇病にかかった患者を主人公とした小説『』を発表。 結果としてこれが安部公房が擱筆した最後の小説となった。 この頃、安部はに強い関心を寄せ、それをテーマとした長篇『』の執筆に取り組んでいたが、同年12月1日に行なわれた談話ではそれに続く新しい構想として「アメリカ論」を挙げ、「風に言えば、学習無用の普遍文化。 コカ・コーラやジーンズなどに代表される、反伝統の生命力と魅力をもう一度見直してみたい。 」 と語っている。 平成4年 12月25日深夜、執筆中に脳内出血による意識障害を起こし、に入院。 平成5年 1月16日には経過良好で退院したが、自宅療養中にを発症し、1月20日にのに入院。 1月22日には解熱し一時的に恢復したものの、就寝中の同日7時1分、により死去。 68歳没。 1992年12月に執筆していた小説『さまざまな父』 が未完のまま絶筆 となった。 なお、入院時に愛人宅より搬出されたためスキャンダル扱いとされたが、最期は家族に看取られた。 死後 [ ] 1月23日、自宅で通夜、翌24日に告別式が営まれる。 安部が使用していたワープロのから執筆途中の『飛ぶ男』 162枚、『もぐら日記』 240枚などが発見された。 妻の真知は安部の死後に癌を患い、同年に急性で死去。 長女の真能ねりは、 平成9年 から 平成21年 にかけて刊行された全集の編集にも尽力した。 平成23年 3月には、安部ねり名義で『安部公房伝』(新潮社)を上梓する。 平成24年 、母方の実家に養子に入っていた実弟の井村春光宅 北海道札幌市 から、安部が1946年の引揚時に船内で執筆したと見られる未発表短編『天使』が発見され、同年11月発行の『』12月号に掲載された。 2013年、女優のが自身のエッセイ『安部公房とわたし』で、安部との20年以上に亘る愛人関係を公表した。 山口によれば、安部は1987年にを患い、闘病していたが、本人の強い希望で隠されていたとされる。 2018年8月16日、長女のねりが胸部大動脈破裂のため死去。 64歳没。 人物 [ ] 交友 [ ]• いわゆる文壇とは距離を置いており 、交友関係も極端に狭かったため、その晩年には若年層などの間で死亡説 が囁かれるなど、半ば伝説化した存在となっていた。 これには安部の特異な性格も影響していたようである。 そんな中、とはデビュー後まもなく師事した事情もあり、事実上の弟子であったが、ともに孤立した存在であり、安部も「石川さんは例外」と述べていた。 なお、安部は石川の没後、 に営まれたに参列し、弔辞を読んでいる。 とは当時、自宅が近くのにあった石川淳の紹介で親交を深めた。 なお、2人とも安部と誕生日が同じであり、のちに萩原はやなどで安部と共に選考委員を務めている。 安部の初期作品はSFに属するものが多く、時期的にも日本における同ジャンルの草創期と軌を一にしている。 そのため、日本SF作家クラブには入会しなかったものの、1970年 昭和45年 に日本で開かれた国際SFシンポジウムで中心的役割を果たすなど、この分野の関係者とは親交が深かったが、そのなかの1人であるとは酒場での同席を避けるなど互いに意識しあっていたという。 とは、相互に自宅を訪問しあうほどの仲で、同時に谷崎賞を受賞したが、 昭和43年 頃にを巡り意見が対立するなどしたため、関係が疎遠となった。 大江は、「それから、本気で仲直りすることがあった、とは思いません。 」と言っている。 ただ、辻井喬の計らいでから共にの選考委員を務めるほか、しばしば対談も行っている。 とは大江健三郎を介して知り合い、生涯にわたる親交を結んだ。 キーンにとっても安部は三島由紀夫とともに重要な友人であり、三島の死後は唯一無二の存在となった。 なお、キーンは安部の戯曲『』 1975年 、『』 1986年 などの英訳紹介を行っている。 とは、1970年代の初め頃に新潮社の編集者(出版部長などを歴任) 新田敞 ( にった ひろし )を通じて親交を結んだ。 堤は安部作品の舞台上演にしばしばを提供するなど、としても重要な存在であり、1973年6月に同劇場で行なわれた安部公房スタジオ第1回公演「」では、安部に音楽の担当者として武満徹を推挙している。 は安部が原作やシナリオを担当した映画すべての音楽を担当するなど、近しい関係であった。 に対しては冷淡な態度を取っていたが、亡くなる1年前に評価をあらためていたことが武満の著書で明かされている。 とは晩年に親密な関係を築き、司馬は安部が選考委員をつとめる文学賞を数多く受賞している。 ドナルド・キーンによれば、安部は『』 学芸部門受賞 で採り上げられた、国を持たないに魅力を感じていたという。 晩年には対談を行ったやとも親交があった。 日本文学 [ ] 堤清二によれば、安部は日本人作家については、大江健三郎やなどをのぞいてほとんど認めようとしなかったという。 たとえば、自身と同時期にノーベル賞候補と噂されたを「物語作家」、を「随筆作家」などとこきおろしていた。 その一方で、1980年代にはいくつかの文学賞の選考委員を務め、以下の作品などを推挙している。 『』 、1984年• 『脳の発見』 、1986年• 『高丘親王航海記』 読売文学賞、1987年• 『茶事遍路』 読売文学賞、1988年• 『閔妃暗殺』 、1988年• 『狂人日記』 読売文学賞、1989年• 『ナマコの眼』 新潮学芸賞、1990年 また、1991年12月3日に行なった河合隼雄との対談のなかで、安部は昔からが好きだったとし、もしかしたら日本で作家と言えるのは椎名だけではないかと述べている。 外国文学 [ ] フランツ・カフカ• 外国文学が安部公房に及ぼした影響について、埴谷雄高は『壁』の解説文のなかで「安部公房はハイデッガーから出発した。 中略 その後の彼はリルケを経て、サルトルとカフカとの影響を強く受けたが、それは普通いわれる文学的な影響とはやや異なっている。 空間の造形的表現が、彼の小説の方法論となった。 」 と書いている。 について、安部は 昭和31年 と 昭和39年 の二度にわたる東欧旅行の途次に、彼の生まれた街を訪れている。 安部は初回訪問時にはまだ公認の作家ではなかったカフカが、再訪時には再評価が進み生家跡も発見されたことを知り、プラハにおけるカフカの位置についてのエッセイを書いた。 また、 昭和55年 にはとの対談で「カフカは世界そのものの存在を提出しえた、途方もない作家だったと思う」 と述べている。 が1981年にを受賞した際に関心を持ち、高く評価した。 同じ頃に親友であるの薦めでコロンビアの作家を読み 、その作品に衝撃を受ける。 以後、安部は自著やテレビなどで盛んにカネッティやガルシア=マルケスを紹介し、彼らの作品を一般読者にも広めた。 上記のほか、晩年まで箱根の仕事場に置かれていた愛読書 には、の『ガイアナとブラジルの92日間』、の『鏡の背面』、の『幻影都市のトポロジー』、の『贋作』などがある。 趣味 [ ]• アウトドア・スポーツを好み、しばしば家族を伴いドライブやなどを楽しんだ。 特にカーマニアとして知られ、、、、、、などを乗り継ぎ、車やカメラなどの趣味が一致していた安岡章太郎とはやなどのに観戦に出かけている。 箱根に仕事場を移したのちの 昭和61年 には、を使わずに巻ける簡易着脱型タイヤ・チェーン「」を考案している。 カメラマニアとしても有名であり、の選考委員を第7回 1981年度 から第9回 1983年度 まで務めるなど、カメラの腕前も趣味の領域を超えるものだった。 などを愛用し、インテリジェンスに富む作品を残したが、その一部は『箱男』 1972年 、『都市への回路』 1980年 、『死に急ぐ鯨たち』 1986年 などの著書 にも使用された。 1980年代以降は箱根の仕事場に暗室不要型の簡易現像器具を置き、自らプリントした写真を壁に貼って構想を練った。 日本人で最も早い時期からワープロで小説を執筆した作家の一人である から使用。 のワープロ開発に参画し、ワープロ『』は文字通り文豪が関わった機種だった。 安部が使用していたワープロはNECの『NWP-10N』とその後継シリーズ『文豪』である。 なお、そのデータを解析した結果、安部の執筆手法や手順の一端が明らかになっている。 安部が使用していたシンセサイザー、"" の同モデル。 他にも"MS-20"などを使用していた。 音楽ではのファンであり、日本における最初期ののユーザーでもあった 当時、日本でシンセサイザーを所有していたのは安部のほかと電子音楽スタジオを数えるのみで、安部は職業と関わりなく使用していた。 昭和60年 にNHKが箱根の仕事場を訪れて収録した「訪問インタビュー」では、安部が自身の演劇作品のためにみずから作成した等を公開している。 また、堤清二は1999年に行なわれたインタビューで、安部が武満徹に所有機で作成した自身の演劇作品「仔象は死んだ」の劇中音楽を聴かせたところ、武満の顔が真っ青になったと話していたと回想している。 一方、クラシック音楽では青年期にはがを指揮したのやが歌ったシューベルト歌曲集『』などを、後年にはの作品やバロック音楽などを好み、晩年にはが演奏したバッハを愛聴していたが 、オペラは嫌いだった。 映画作品のビデオテープも箱根の仕事場に残されている。 その中で『』、『』、『』、『』などの作品は愛好した書籍や音楽ソフトなどと共に並べられていた。 美術ではを評価しており、いくつか著書の表紙に使用している。 また自身でも彫刻をよくし 、『方舟さくら丸』の用にゴム印を自作したほか、1980年代以降には箱根の仕事場でトイレット・ペーパーの芯や空き瓶、の種などを用いてオブジェを作った。 であり、やなども嗜んだ。 また『タバコをやめる方法』というエッセイも書いている。 評価 [ ]• 受けた賞は数多く、主なものだけでも、戦後文学賞 1950年 、芥川龍之介賞 1951年 、岸田演劇賞 1958年 、読売文学賞 1963年・1975年 、谷崎潤一郎賞 1967年 、フランス最優秀外国文学賞 1968年 、芸術選奨 1972年 などがある。 いち早く安部を高く評価していた埴谷雄高は、 昭和26年 の芥川賞受賞作『壁』の書評において、安部が自分の後継者であるばかりか、自分を超えたと述べている。 単に幻想文学にとどまらず、やといった文学に顕著な技法を実践し、推し進めた前衛文学者として、世界的に評価が高い。 『砂の女』は、世界30数か国語に翻訳され、『燃えつきた地図』はの外国文学ベスト5に選ばれている。 安部の作品は特に共産主義圏の東欧において高く評価され、西欧を中心に評価を得ていたと対極的とみなされた。 その三島もまた安部を評価し、1967年の谷崎潤一郎賞の選考において安部の戯曲作品『』を熱心に推挙し、長篇小説を主な授賞対象としていた同賞では異例といえる戯曲の受賞を実現させている。 1975年 昭和50年 5月13日、安部はアメリカ・コロンビア大学名誉人文科学博士称号の授与式において、プレゼンターから「あなたは人間性という普遍的なものをお持ちだ」 という賛辞を贈られた。 1979年 昭和54年 5月に行なわれた安部公房スタジオのアメリカ公演『仔象は死んだ』は好評をもって迎え入れられた。 安部によると、 ()での公演では加速度的に観客が増え、には通路から階段、ミキサー室まで観客であふれたという。 ニューヨーク・タイムズの ()は当公演の劇評でポーランドの劇作家、 ()を引き合いに出し、「(カンターと)安部公房は独創的で、変容自在のヴィジョンと、作家自身の感性の延長のように動く一団の俳優を持っているという点で共通している」とし、「行動芸術家としての安部公房は演劇における偉大なパフォーマーであり、デザイナーである」 と締めくくっている。 武満徹は、1995年8月4日に書き留めた文章のなかで、安部はある意味完璧主義者ではあったが、透徹したリアリストであり、その一字一句にまで推敲を重ねる姿勢は、作品の表面的な完成度のみを追求するためでなく、自らを詩的な坑道に置き、そこから現実を逆照射するためであると述べている。 は、1996年に行なったディスカッションで、「安部公房は奇妙な話を書きますが、変かというととくに変ではないですね。 その奇妙さは良くも悪くも一貫した奇妙さであって、「変」ではない」と述べている。 安部公房の作品を知っていた。 そして他の作家については知らなかった。 自分にとっては安部公房は重要な作家だった」 と述べている。 大江健三郎は、安部公房をカフカやと並ぶ世界最大の作家と位置づけている。 1999年に行なわれたインタビューで「僕の感じだと、日本的な作家ということで、たとえば、、が知られていたとしてもですね、ほんとうに現代作家として外国の知識人に読まれた作家は安部さんが最初だった。 そしていちばん強い印象を与えたのが安部さんだったと思うんですね。 中略 ほんとうにたとえばガルシア=マルケスやが自分の好きな作家として持ち出す人として安部さんがあったと思うんです」 と語っている。 また、1994年に自身がノーベル文学賞を受賞したおりには、、井伏鱒二の名前と共に安部の名前をあげ、もっと長生きしていれば、自分ではなくて彼らがノーベル文学賞を受賞したであろうという事を述べている。 ノーベル文学賞を選考するののペール・ベストベリー委員長は、2012年3月21日、読売新聞の取材に応えて、「(安部公房は)急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。 非常に、非常に近かった」と述べている。 受賞歴 [ ]• 昭和25年 - 「」で戦後文学賞を受賞• 昭和26年 - 「」でを受賞• 昭和32年 - 「」 文化放送 で芸術祭奨励賞を受賞• 昭和33年 - 戯曲「」で受賞• 昭和34年 - 「日本の日蝕」 NHK大阪 で芸術祭奨励賞を受賞• 昭和35年 - 「」で芸術祭奨励賞を受賞• 昭和36年 - 映画「おとし穴」でシナリオ作家協会賞受賞• 昭和37年 - 「吼えろ!」 朝日放送 で芸術祭賞、「音の物体詩 チャンピオン」 で民放祭賞を受賞• 昭和38年 - 「」で、、「虫は死ね」 北海道放送 で芸術祭奨励賞を受賞• 昭和39年 - 映画「砂の女」でカンヌ映画祭審査員特別賞他、「目撃者」 RKB毎日放送 で芸術祭奨励賞を受賞• 昭和42年 - 戯曲『』でを受賞• 昭和43年 - 「」でフランス最優秀外国文学賞を受賞• 昭和47年 - 戯曲「未必の故意」でを受賞• 昭和50年 - 戯曲「」でを受賞• 昭和50年 - 、・から名誉人文科学博士の称号を受ける• 昭和52年 - 名誉会員に推される• 昭和61年 - 簡易着脱型タイヤ・チェーン「チェニジー」により「第10回国際発明家エキスポ86」で銅賞を受賞• 平成4年 - アメリカ芸術科学アカデミーから正式に名誉会員として迎え入れられる 作品一覧 [ ] 小説 [ ]• 、1952年• 飢えた皮膚 ユリイカ、1952年• プレス・ビブリオマーヌ、1973年• プレス・ビブリオマーヌ、1974年• ・ 新潮文庫、1988年• 新潮社、1994年)• 単行本版は夫人の真知による加筆が後に判明し、未文庫化。 「全集」には、加筆前の複数の異稿版「スプーン曲げの少年」「スプーンを曲げる少年」「飛ぶ男」を収録• 題未定 安部公房初期短編集(新潮社、2013年)。 〈霊媒の話より〉ほか全11篇 戯曲 [ ]• ・快速船・制服 安部公房創作劇集 、1955年。 新編・、2020年3月• ・ 、1967年、新版1975年• 安部公房戯曲全集 新潮社、1970年• 現代文学の実験室1 安部公房集 1970年6月、大光社• 東欧を行く ハンガリア問題の背景 大日本雄弁会講談社、1957年• 猛獣の心に計算器の手を 、1957年• 裁かれる記録 映画芸術論 講談社ミリオン・ブックス、1958年• 手について プレス・ビブリオマーヌ、1973年• 発想の周辺 新潮社 1974年 - 対談集• 安部公房の劇場 七年の歩み 安部公房スタジオ編、1979年• 無名詩集 自費出版 作品集 [ ]• 安部公房全作品 全15巻、新潮社、1972年-1973年• 安部公房全集 全30巻、新潮社、1997年-2000年、2009年 映画 [ ]• 壁あつき部屋 1956年、、脚本• 1962年2月、勅使河原プロ、原作・脚本 - テレビドラマ『』の映画化 ラジオドラマ [ ]• ひげの生えたパイプ• お化けが街にやって来た• 耳 、1956年11月• 文化放送、1957年11月29日• 朝日放送、1962年11月、脚本• 文化放送、1963年11月 テレビドラマ [ ]• 、1958年、脚本• 円盤来たる NHK、1959年2月、脚本• 、1959年7月、脚本• 日本の日蝕 NHK、1959年10月、脚本• 詩人の生涯 、1959年11月、脚本• 、1960年10月、脚本• お化けの島 NHK、1960年、脚本• 人命救助法 -おぼれる者は- NHK、1961年7月、脚本• 、1962年、企画・構成・監修・演出 - オムニバスシリーズ 全20回• モンスター NHK、1962年、脚本• 1963年、脚本• 、1962年11月• 購入者 、1963年、脚本• 「」、、1963年、脚本• 、1964年、構成 - 東京12チャンネル 現:テレビ東京 開局記念番組• 「」、、1964年、脚本 映像化作品 [ ]• 『』は、により映画化された。 監督:、脚本:安部公房、音楽:、出演:、。 『他人の顔』は、に東宝より映画化された。 監督:勅使河原宏、脚本:安部公房、音楽:武満徹、出演:、。 『燃えつきた地図』は、に東宝より映画化された。 監督:勅使河原宏、脚本:安部公房、音楽:武満徹。 出演:、。 『友達』は、に映画化された。 監督・脚本:シェル・オーケ・アンデション、撮影:ペーテル・モクロシンスキー。 出演:デニス・クリストファー、レナ・オリン。 以下は映像化企画はあったが未制作となった作品。 『けものたちは故郷をめざす』 脚色:。 恩地氏のシナリオは、『』1965年8月号掲載。 『第四間氷期』 脚色:安部公房、監督:堀川弘通。 安部が1965年9月7日に脱稿した本作品のシナリオはが映画化を企画。 シナリオは、『』1966年4月号掲載。 脚注 [ ]• 戸籍にルビは存在しないため、後年は筆名をほとんど本名のように扱っていたようである。 『群像』9月号のによれば、本人のパスポートには〈KOBO〉と表記してあったという。 リンク切れ• 安部浅吉の両親は出身、井村よりみの両親は出身であった。 2012年に講談社文芸文庫から復刻• 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』p. 『安部公房全集 』p. 11-16• 安部ねり『安部公房伝』p. 満洲を舞台にした唯一の長篇小説『けものたちは故郷をめざす』も体験とはかけ離れたものであり、のちに安部はエッセイ「一寸先は闇」に私小説を書かない理由を記している。 24-26• 紀伊国屋 書評空間 Booklog "阿部公彦"2011年4月18日のブログ• なお、この詩集には真知子に捧げた「リンゴの実」という作品も収載されていた 安部ねり『安部公房伝』p. 全集後半に何度か本人の弁がある• 後輩である養老孟司が本人から直接聞いた話によると、長谷川敏雄による卒業口頭試問では人間の妊娠月数を2年と答えたと伝えられている 養老孟司『小説を読みながら考えた』p. 113• 169• 安部ねり『安部公房伝』p. によれば、安部が入党した明確な日にちは不明としながらも、コミンフォルム批判に端を発した党派分裂を契機としてに入党したのではないかと推測している。 谷真介『安部公房レトリック事典』p. 371-372• 川端康成「『壁』を推す」 第25回昭和26年度上半期 芥川賞選評 1951年10月号• 473-506. 加藤弘一HP「ほら貝」• 419-454. 455-480. 97-181. 203-264. 201-213. 237-248. 文化放送 「耳」はラジオ九州との共同制作 による「現代劇場 人間の顔シリーズ」 の第1作、第2作として1956年11月2日および12月7日に放送。 他にもメンバーとして、岡本太郎、、、、、玉井五一、、、、、、埴谷雄高、、、柾木恭介、らが在籍していた。 出典:『安部公房全集 』巻末作品ノート p. 『安部公房全集 』p. 209-302. 463-475. 85-169. 『安部公房全集 』p. 10-541. 『安部公房全集 』p. 39-120. 201-224. 375-435. 『安部公房全集 』p. 7-505. 『安部公房全集 』p. 7-499. 当戯曲は民主商工会の閉店ストライキをモチーフとして制作され、劇団俳優座・・のメンバーで構成された訪中新劇団によって試演された。 341-414. 初稿版 所収。 再録:『安部公房全集』p. 415-420. なお、初回放送時のラジオ台本は散逸しており、同年12月8日にで催された舞台上演時の台本のみ現存する。 464-467. 『安部公房全集 p. 469-491• 授与式の模様はNHKなどで採り上げられ、安部は放送時のテレビ画面を写真撮影した。 『安部公房全集 』箱裏、安部ねり『安部公房伝』p. 180-181• 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』表紙、安部ねり『安部公房伝』p. 184• 『安部公房全集 』p. 433-481 所収• 212-215• 『安部公房全集 』p. 251-273 所収• 安部の死後、フロッピーディスクから発見された文書データより絶筆と判定されている。 出典:『安部公房全集 』巻末作品ノート p. 10-11• 文藝春秋WEB、2013. 26 リンク切れ• 安部ねり『安部公房伝』p. 227および、谷真介『安部公房レトリック事典』p. 430。 真知の命日は前者、直接の死因となった病名は後者の記述に拠る。 なお、真知の命日について後者では9月23日と記載されているが、より刊行年の新しい前者の記述に拠った。 2012年11月7日. 2012年11月20日閲覧。 リンク切れ• リンク切れ• ダ・ヴィンチ、2013年08月27日• 産経新聞、2013. 22 リンク切れ• 朝日新聞、2013年7月25日 リンク切れ• - 産経ニュース 2018年8月20日• 安部は文壇付き合いについて「文学畑の人たちと付き合っていると疲れる、常識が合わない」と養老孟司に語っていたという 養老孟司『小説を読みながら考えた』p. 210 養老はつづけて「理科系のわたし 養老 からすると、文学者は主観の塊で、根本的には度し難い人種なのである」と書いている。 212• 378-379• 最相葉月『星新一 1001話をつくった人』p. 412• 『大江健三郎 作家自身を語る』p. 294-295• 178-182. 72-79. 『叙情と闘争』「芝居と現代音楽」p. 225. 『叙情と闘争』「芝居と現代音楽」p. 228. 『時間の園丁』「エピソード-安部公房の否(ノン)」p. 235• キーンによれば、安部は国家主義こそ世界平和への最大の障害だと考えていたという。 (出典:『思い出の作家たち』単行本 p. 137. 文庫版 p. 163)• 41-62. 所収、『安部公房全集 』p. 216-225. 所収)• 232-243. 所収)• 310• 山口果林『安部公房とわたし』p. 125• 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』p. 58-59• 131-133• 『安部公房全集 』p. 122 なお、エリアスとその妻ベーツァの著作はやなどの訳出でから出版されている。 キーンから「これはあなたが読むために書かれたような小説だ」と言われたという。 122• 2 - 人気作家の人生と作品』p. 122• 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』p. 50-51,66• 安部は発売元だったの広報用にチェニジーの装着方法を図解入りで執筆している。 『安部公房全集 』p. 277-278• 近年では『安部公房全集』全30巻の箱裏と見返し、新潮文庫より刊行されている安部作品の表紙に使用されている• 安部ねり『安部公房伝』p. 218• それ以前にも、1970年代末ごろから星新一など幾人かがワープロの使用を試みているが、 1982年頃から使用 やなどを除き、いずれも程なくして断念したという。 加藤弘一 2003年4月15日. 2012年3月25日閲覧。 スローリィ・スローステップの怠惰な冒険 2014年12月27日投稿 リンク先にも安部が1985年のNHK訪問インタビュー出演時に同機器を操作した映像がある。 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』p. 安部ねり『安部公房伝』p. 310• 山口果林『安部公房とわたし』p. 129• ドナルド・キーン、安部公房『反劇的人間』• 新潮文庫旧版の戯曲集『友達・棒になった男』 1987年 、『緑色のストッキング・未必の故意』 1989年 に使用された。 なお、後者では美術家の承諾を得て一部の彩色を変更している。 『安部公房全集 』p. 安部ねり『安部公房伝』p. 218• 『死に急ぐ鯨たち』所収• 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』p. 59、安部ねり『安部公房伝』帯文• 401• 『安部公房全集 』巻末資料p. 『時間の園丁』「エピソード-安部公房の否(ノン)p. 301• 302• 『大江健三郎 作家自身を語る』p. 234• 資料編の最終30巻目のみ、刊行が大幅に遅れた。 - 参考文献 [ ]• 『新潮日本文学46 安部公房集』、1970年。 安部公房 + ドナルド・キーン 対談 『反劇的人間』中央公論社〈中公文庫〉、1979年3月。 『安部公房文学語彙辞典』 編著、スタジオVIC 出版 発売 、1981年4月、増補版。 安部公房『死に急ぐ鯨たち』新潮社、1986年9月。 『新潮日本文学アルバム51 安部公房』高野斗志美 編著、新潮社、1994年4月。 『安部公房レトリック事典』谷真介 編著、新潮社、1994年8月。 河合隼雄『こころの声を聴く - 河合隼雄対話集』新潮社、1995年1月。 武満徹『時間の園丁』新潮社、1996年3月。 『ダ・ヴィンチ解体全書vol. 2 - 人気作家の人生と作品』ダ・ヴィンチ編集部、、1997年7月。 『安部公房全集 1942. 05』新潮社、1997年7月。 『安部公房全集 1951. 09』新潮社、1997年10月。 『安部公房全集 1953. 02』新潮社、1997年11月。 『安部公房全集 1955. 02』新潮社、1997年12月。 『安部公房全集 1956. 01』新潮社、1998年1月。 『安部公房全集 1957. 11』新潮社、1998年2月。 『安部公房全集 1957. 06』新潮社、1998年3月。 『安部公房全集 1958. 04』新潮社、1998年4月。 『安部公房全集 1959. 09』新潮社、1998年6月。 『安部公房全集 1959. 05』新潮社、1998年7月。 『安部公房全集 1960. 12』新潮社、1998年8月。 『安部公房全集 1966. 04』新潮社、1999年5月。 『安部公房全集 1967. 02』新潮社、1999年6月。 『安部公房全集 1968. 02』新潮社、1999年7月。 『安部公房全集 1970. 03』新潮社、1999年8月。 『安部公房全集 1974. 11』新潮社、1999年10月。 『安部公房全集 1977. 01』新潮社、1999年12月。 『安部公房全集 1980. 11』新潮社、2000年1月。 『安部公房全集 1984. 12』新潮社、2000年10月。 『安部公房全集 1990. 01』新潮社、2000年12月。 『安部公房 評伝年譜』谷真介 編著、新泉社、2002年7月。 『』〈文春文庫〉、2004年10月。 ドナルド・キーン『思い出の作家たち - 谷崎・川端・三島・安部・司馬』新潮社、2005年11月。 新潮文庫、2019年5月(一部改訂)• 『星新一 1001話をつくった人』新潮社、2007年3月。 養老孟司『小説を読みながら考えた』、2007年4月。 『大江健三郎 作家自身を語る』聞き手・構成 尾崎真理子、新潮社、2007年5月。 『安部公房全集 1924. 01』新潮社、2009年3月。 辻井喬『叙情と闘争 - 辻井喬+堤清二回顧録』中央公論新社、2009年5月。 『安部公房の〈戦後〉 植民地経験と初期テクストをめぐって』、2009年11月。 安部ねり『安部公房伝』新潮社、2011年3月。 『安部公房の都市』、2012年2月。 安部ヨリミ『スフィンクスは笑う』講談社、2012年2月。 田中裕之『安部公房文学の研究』和泉書院〈近代文学研究叢刊 49〉、2012年3月。 大江健三郎『定義集』、2012年7月。 『 霊媒の話より 題未定 - 安部公房初期作品集』新潮社、2013年1月。 木村陽子『安部公房とはだれか』、2013年5月。 『安部公房とわたし』講談社、2013年7月。 、2018年3月(一部改訂) 関連人物 [ ]• 第43回 「夜と霧の隅で」• 第44回 「」• 第45回 該当作品なし• 第46回 「」• 第47回 「美談の出発」• 第48回 該当作品なし• 第50回 「感傷旅行 センチメンタル・ジャーニィ」• 第52回 該当作品なし• 第53回 「玩具」• 第54回 「北の河」• 第55回 該当作品なし• 第56回 「夏の流れ」• 第57回 「カクテル・パーティー」• 第58回 「徳山道助の帰郷」• 第60回 該当作品なし• 第62回 「」 1970年代• 第64回 「杳子」• 第65回 該当作品なし• 第69回 「鶸」• 第71回 該当作品なし• 第73回 「祭りの場」• 第75回 「」• 第76回 該当作品なし• 第80回 該当作品なし• 第82回 「モッキングバードのいる町」• 第83回 該当作品なし• 第84回 「父が消えた」• 第85回 「小さな貴婦人」• 第86回 該当作品なし• 第87回 該当作品なし• 第89回 該当作品なし• 第90回 「杢二の世界」、「光抱く友よ」• 第91回 該当作品なし• 第92回 「青桐」• 第93回 該当作品なし• 第94回 「過越しの祭」• 第95回 該当作品なし• 第96回 該当作品なし• 第97回 「鍋の中」• 第99回 「尋ね人の時間」• 第101回 該当作品なし• 第103回 「村の名前」• 第104回 「」• 第106回 「至高聖所アバトーン」• 第107回 「運転士」• 第108回 「犬婿入り」• 第109回 「寂寥郊野」• 第110回 「石の来歴」• 第112回 該当作品なし• 第113回 「この人の閾」• 第114回 「豚の報い」• 第115回 「蛇を踏む」• 第117回 「水滴」• 第118回 該当作品なし• 第120回 「」• 第121回 該当作品なし• 第125回 「中陰の花」• 第126回 「猛スピードで母は」• 第127回 「パーク・ライフ」• 第128回 「しょっぱいドライブ」• 第129回 「ハリガネムシ」• 第131回 「介護入門」• 第132回 「グランド・フィナーレ」• 第133回 「土の中の子供」• 第134回 「」• 第135回 「八月の路上に捨てる」• 第136回 「ひとり日和」• 第137回 「アサッテの人」• 第138回 「」• 第139回 「」• 第140回 「」• 第141回 「終の住処」• 第142回 該当作品なし 2010年代• 第143回 「」• 第145回 該当作品なし• 第147回 「冥土めぐり」• 第148回 「」• 第149回 「爪と目」• 第150回 「穴」• 第151回 「」• 第152回 「九年前の祈り」• 第155回 「」• 第156回 「」• 第157回 「」• 第159回 「送り火」• 第161回 「むらさきのスカートの女」• 第162回 「背高泡立草」.

次の

雪だるまのハロウィンたんぺんしゅー

あべさく小説

最近は音質爆悪コンビ通話放送でおなじみの素のまんま(Snow Manの冠ラジオ番組)、次回のパーソナリティ担当はどうやら阿部と佐久間らしいです。 平然と書いてるけどキーボードを打つ指がめちゃくちゃ震えている。 なんかしかも最近のラジオ、送られてくるメールがガチガチにパーソナリティふたりを指定しているものが多いので恐らくマジの直近に収録する撮って出しスタイルなんですね(探偵?)。 音質が爆悪なのはメンバーふたりが自宅から電話しているような収録形式ゆえの弊害なんだけど、ということは来週のわたし、 阿部と佐久間による通話を盗聴するポジショニングということで大丈夫ですか?…すみません、わたしは大丈夫じゃないです。 何度も言うけどふたりの名前を打つ度に指が震えています、心が弱いので…。 そんな感じで放送終了時、わたしの言語化能力も終了してしまっている可能性が非常に高いので今のうちにわたしが好きなあべさくについて残しておきます。 全部書いてたら放送日が来てしまうのでわたしの嗜好に基づいていくつかに厳選しました。 みんなが厳選した好きなあべさくの話もいつでもいいから聞かせてね。 ・島動画編 ・出オチTV ・ 佐久間「阿部くん、今日の天気なにかな」 阿部「今日晴れ🌞🎶」 さくまくんはあべさんに高頻度で天気を尋ねているという事実。 関係ないけどこのあべさん、身体があまりにも薄すぎて若干心配になる。 ・ ・ ・ ・ ・ このへんのあべさく、ふたりだけみんなとは違う空気を吸っている感じがして好きです。 いくらなんでも集団のなかで突如ふたりだけになるスキルが高すぎる。 一生置き去りにされたい!💕(入信) ・YouTube編 初期ボードゲーム回はシンプルに 密閉/密接/密集といった具合なので…阿部ちゃん先生~はからの「佐久間おいで」の声の温度感がもうまじでまじですごい。 すごいよ本当に。 変な気起こしそう。 スカイツリーはなんかもう全編通してずっと大変なことになってる。 あべさくを感知したら音を鳴らす報知器がエンドレスで作動してる。 見ていて普通に頭おかしくなるかと思いました。 本当は他の動画も色々すごいのだけれど、セレクションということでこの3つを挙げます。 余談ですが、先先先日くらいのリモ〜ト阿部ちゃん先生は入れてしまうとパワーバランスが崩れてしまう(あまりにも屈強すぎたので)と思って敢えて書いていません。 というかわたし自身がまだあの事象をきちんと咀嚼できていないので、あの、なんかすみません…(虚弱)。 ・佐久間くんによる「阿部だけ例外」シリーズ …大体メンバーを何かしらに例えている。 最近もはやこれがデフォルトになってきている。 どういうことかは読めばわかる。 岩本…ひし形 深澤…球体 渡辺…円すい 宮舘…台形 阿部… 雪の結晶 理由:理解ができない不思議な形なのにきれい。 だけど強そう。 岩本…ティラノサウルス 深澤…カニ 渡辺…ネコ 宮舘…ペガサス 向井…アリクイ 目黒…オオカミ ラウ…ホッキョクグマ 阿部… テトラポット 理由:何に使うのか普通の人じゃ理解できないの、阿部ちゃんは。 ・メンバーと記念写真を撮るならどこへ行く? 岩本…富士急 深澤…USJ 渡辺…ピューロランド 宮舘…夢の国 向井…ナガシマスパーランド 目黒…プールのあるテーマパーク ラウ…花やしき 阿部…阿部ちゃんとは…あえて 遊園地とかテーマパークの真反対がいいので、阿部ちゃんの家で対戦系のゲームをします(笑)。 ・俺から見たメンバーってこんなヤツ! 岩本…筋肉の人 深澤…顔が大きい人 渡辺…美容の人 宮舘…貴族の人 向井…関西の人 目黒…クールな人 ラウ…足が長い人 阿部…勉強が好きな人。 いつも前に出てるわけじゃないけど、出番が来たときのハデさがある人。 岩本…箸 深澤…おたま 渡辺…ナイフ 宮舘…大皿 向井…スプーン 目黒…フォーク ラウ…アイススプーン 阿部… コンセント 理由:まあ、それがあってやっとみんな動き出せるんですよ。 岩本…軟骨の唐揚げ 深澤…ヤングコーン 渡辺…肌ツルツルのそうめん 宮舘…サラダ 向井…美味しいハンバーグ 目黒…たくあん ラウ…たこ焼き 阿部… ナスカの地上絵 理由:不明 岩本…トランペット 深澤…スチールドラム 渡辺…鉄琴 宮舘…和太鼓 向井…アコースティックギター 目黒…コントラバス ラウ…タンバリン 阿部… マンホール 理由:なんで丸いのか、理由を教えてもらわないとわからない、ナゾな感じが阿部ちゃんっぽい 余談ですが、わたしはこの佐久間くんの発言を鬼マウント川柳と呼んでいます。 Myojoのやつ(雑紹介)は脚色でもなんでもなく、本当に7人に対してはそれぞれ記載している一言のみだった。 …この系列、全部並べると圧が本当にすごい。 独特のマウントでアベンジャーズを結成する男。 ・裏話編 テレビ誌とかドル誌とか。 『キスまで~選手権』阿部&佐久間対決はスタッフの説明を聞いて「 チューしちゃっていいってことね?」と答えた阿部に一同から「違う違う(笑)」と総ツッコミ!(2015. 9 POTATO) 阿部くんがソロコメントで歯磨きのことを話していると佐久間くんが乱入し「阿部ちゃんの歯磨き30秒でしょ~」。 それを聞き「おい!歯科助手の息子だぞ!」と阿部くん。 もっと丁寧に磨いていると佐久間くんに抗議していました。 (2018. 3 TVガイド) 阿部くんは座談会中おにぎりを食べつつ、横で落ち着きのない佐久間くんをなだめたりツッコんだり。 撮影中も「あむ、あむ」をやり続ける佐久間くんを隣でにこやかに見守っていました。 (2018. 12 TVガイド) 阿部&佐久間の撮影では、「佐久間、髪の毛からいいにおいする。 (2019. 6 POTATO) 佐久間くんの「3色ショッピング」については、こちらも是非感想を聞こうと意気込んでいたのですが、阿部くん自らお話ししてくれました。 (2019. 7 TVガイドPLUS) 座談会では、猫に詳しい佐久間くんが大活躍!隣の阿部くんと共にいろいろ解説しながら進めてくれました。 そんな2人は佐久間くんが阿部くんに毛糸を巻き付けて遊んだり、佐久間くんが阿部くんの横で寝っ転がったりと仲良しな様子でした。 (2019. 12 TVガイド) ・myojo ・snowman ・開封するころには32才かーと呟くジョニーデップ ・ではなく深澤 ・その近くでは ・ 佐久間と阿部がカタカナのツの書き方で小競り合い ・これは完全にカタカナのシ ・あべさく(2020. 1 Myojo) (noteの仕様でハッシュタグをそのまま記載できないので中黒を代わりに使用しています) 佐久間くん&阿部くんペア。 こちらがオーダーする前から、ソファーに仲良く体育座りして、頭をごっつんこ。 息ぴったり!阿部くんが佐久間くんの肩に顔を寄せるショットでは、佐久間くんが悪い顔で舌なめずりする場面も。 (2020. 4 テレビステーション) ソロコメ中も一緒にいることが多かった阿部くん&佐久間くん。 佐久間くんが岩本くんと深澤くんのキャッチフレーズをつけ「いいの出ちゃった~笑」と阿部くんに報告。 阿部くんも「いいじゃん笑」と答えたりとなんだか可愛らしいお2人でした。 (2020. 1 TVガイド) ……裏話のあべさくって一際しんどくない?しんどいよね。 (1番最後の)デビュー日の時のやつは読んだ時に軽く涙が出た記憶があります。 感受性が豊かだからかな。 その時のページ内でライターの方がふたりを描写したこの文章も、何度見ても息が詰まりそうになる。 全文ずっとしんどすぎてすごく大好きなテキスト。 もはやテキストというか文献越えて専門書。 マフラーも阿部くんがくるくると佐久間くんに巻きうれしそうに密着。 笑い声が絶えない2人ですが、雪だるまの似顔絵を描き出すと途端に静かに。 黙々と描き進めできあがりを見せ合い「かわいい!」「似てる〜」「佐久間めちゃくちゃうまい!」などと言い合っていました。 ・その他 ・メンバーに家庭教師をするなら誰? 佐久間。 みんなで受けてる中国語の授業でも、わかったときのよろこびが大きくて教えがいがありそう。 【阿部】 佐久間に「うしろ、向いて!」とお願いした阿部ちゃん。 「何なに!?」ととまどう佐久間に「うなじ撮るから髪ちょっと上げて」とリクエスト。 好きな角度があるようで、「よし、ここ!」と一発でキレイに撮ってくれました。 ・オレの好きな愛方 阿部は「頭の形が好き」と言いながら佐久間の頭を撮影。 続いて佐久間は阿部のズボンをめくり、 ヒザの裏にあるホクロをパチリ。 ・忘れ物が多い人は? 「阿部ちゃんは新幹線のチケットを網のところに忘れる。 この島あげるから生き残ってみろよ、みたいな。 ・阿部ちゃんの第一印象 覚えてない(笑)!もうなんか 当たり前にいすぎたな。 」 阿部「( すごくうれしそうに)お前よく漢字を知ってんな!?」 佐久間「( うれしそうに)へへへ。 そういう根気強さがあるんじゃないかと」 深澤「こういうコメントですよ!」 佐久間「そうだよ、誰だよ、身長とか髪色の話したやつ!」 一同「…(阿部を見る)」 佐久間「めっちゃ面白かったよ!」 阿部「褒められた!?(笑)」 阿部ちゃんはね、ライブの時、様子がおかしい(笑)。 起伏が激しい、っていうか、常にテンションは高いんだけど、そこからさらに盛り上がるタイミングが、よく分かんないの(笑)。 急すぎて、「お、どうした(笑)!?」ってなる。 でもきっと、それだけ楽しいんだろうなって思うから、そのままでいてほしい(笑)。 【佐久間】 ・お互いの直してほしいところ 阿部「楽屋でふたりで使ってる机に、ストローの袋とかが置きっぱなしになってる」 佐久間「今言われて気づいたわ」 阿部「毎回だから、ホントに無意識なんだね」 佐久間「阿部ちゃんは怒るタイミングがよくわからない。 (隣にいた翔太が「やっぱIQがオレらと違うから」) 佐久間「 でも何で怒ってるのか伝えてほしい」 阿部「俺は佐久間の運転する車に乗ったことはあるよ」 佐久間「お互いあるよね。 阿部ちゃんの運転は 俺の家から駅までの間の一瞬だったけど!」 携帯をかまえる佐久間のうしろに、そっとスタンバイした阿部。 佐久間が大きな声で元気よく「はい、チーズ」と声をかけて撮影。 撮り直す人が多い中、2枚でOKという息ぴったりなふたりでした。 ・番外編 デビュー曲ので優しい素材を使われてるのはこのふたりだけ。 優しい素材っていう情報すごくいいよね。 以上、厳選した好きなあべさくでした。 読後にじわじわと脳髄を蝕んでくる甘さが好きなのが大バレしてる。 公的な視聴手段がないので9時間の話は省いたけど、なんかあれも毎秒すごかった。 炸裂って感じだったね…。 敢えて意図的にカロリー高めの内容は記載しなかったんですけど、軽いやり取りだけで容易く1キルできるのでやっぱりとんでもないキルリーダーだと思います。 割愛したけれど、お互いの知識に助けられてるところとか、お互いのいないところで「阿部ちゃん/佐久間なら分かるのにな」とか思ってしまうところとか、乗車しているバスがあべさんの母校方面へと向かうとあべさんが学生時代に学んでいた内容を思い出して話し始めるとか、生配信中かつ全員が揃っている場で突然ふたりだけの会話が始まるとか、ラジオ中話の脈略をガン無視してハワイ旅行のエピソードを話しだすところとか、保護眼鏡を見て「これ阿部ちゃんが研究室でつけてたやつ」って言い出すとか…まあ 後半は全部さくまくんが急に言い出してるだけなんですけど。 あべさんの首から肩にかけての場所をまるで自分のものとでも思っていそうなさくまくんが好きです。 FC会報 1のメイキング動画も鬼過ぎてなかなか嚥下できなかった。 なんかもうピックアップし出したらキリがないくらいしんどい要素があるのすごいよね。 こわい。 こわいとかわいいでこわいい。 …あります?あまりにもニッチすぎるから表に出さないのかな。 めちゃくちゃ良いことなのに変な脈打ちが止まらない。 駆け巡るアドレナリンってこういうことなんですかね。 なべさくの人、なんかごめん。 おわり P. の「佐久間余裕だよ」の声色が好きすぎて狂ってしまう人を集めて集会を開きたい ・自分が女性ならSnow Manで付き合いたい人 心を許せる仲間・心友の阿部ちゃん。 仲の良い友達に「男でも女でも好き」って言えてしまうのはすごすぎる。 改めてこうしてエピソードをさらっていくと、なんというか、このふたりに纏わることは本当にすべて(少なくとも可視化される範囲内は)事実なのだなと思わされます。 あべさんの壁の話だって、正直に教えてくれる。 こちらから見えているふたりが常に真実だからこそ、わたしたちは彼らに容易く命の手綱を握られるのだろうなと思いました。 わたしはね。 これからも最高にクレイジーでいてください!燃え尽きるまでLet's get crazy〜 ほんとにおわり.

次の

今日も平和な雪の人たち

あべさく小説

最近は音質爆悪コンビ通話放送でおなじみの素のまんま(Snow Manの冠ラジオ番組)、次回のパーソナリティ担当はどうやら阿部と佐久間らしいです。 平然と書いてるけどキーボードを打つ指がめちゃくちゃ震えている。 なんかしかも最近のラジオ、送られてくるメールがガチガチにパーソナリティふたりを指定しているものが多いので恐らくマジの直近に収録する撮って出しスタイルなんですね(探偵?)。 音質が爆悪なのはメンバーふたりが自宅から電話しているような収録形式ゆえの弊害なんだけど、ということは来週のわたし、 阿部と佐久間による通話を盗聴するポジショニングということで大丈夫ですか?…すみません、わたしは大丈夫じゃないです。 何度も言うけどふたりの名前を打つ度に指が震えています、心が弱いので…。 そんな感じで放送終了時、わたしの言語化能力も終了してしまっている可能性が非常に高いので今のうちにわたしが好きなあべさくについて残しておきます。 全部書いてたら放送日が来てしまうのでわたしの嗜好に基づいていくつかに厳選しました。 みんなが厳選した好きなあべさくの話もいつでもいいから聞かせてね。 ・島動画編 ・出オチTV ・ 佐久間「阿部くん、今日の天気なにかな」 阿部「今日晴れ🌞🎶」 さくまくんはあべさんに高頻度で天気を尋ねているという事実。 関係ないけどこのあべさん、身体があまりにも薄すぎて若干心配になる。 ・ ・ ・ ・ ・ このへんのあべさく、ふたりだけみんなとは違う空気を吸っている感じがして好きです。 いくらなんでも集団のなかで突如ふたりだけになるスキルが高すぎる。 一生置き去りにされたい!💕(入信) ・YouTube編 初期ボードゲーム回はシンプルに 密閉/密接/密集といった具合なので…阿部ちゃん先生~はからの「佐久間おいで」の声の温度感がもうまじでまじですごい。 すごいよ本当に。 変な気起こしそう。 スカイツリーはなんかもう全編通してずっと大変なことになってる。 あべさくを感知したら音を鳴らす報知器がエンドレスで作動してる。 見ていて普通に頭おかしくなるかと思いました。 本当は他の動画も色々すごいのだけれど、セレクションということでこの3つを挙げます。 余談ですが、先先先日くらいのリモ〜ト阿部ちゃん先生は入れてしまうとパワーバランスが崩れてしまう(あまりにも屈強すぎたので)と思って敢えて書いていません。 というかわたし自身がまだあの事象をきちんと咀嚼できていないので、あの、なんかすみません…(虚弱)。 ・佐久間くんによる「阿部だけ例外」シリーズ …大体メンバーを何かしらに例えている。 最近もはやこれがデフォルトになってきている。 どういうことかは読めばわかる。 岩本…ひし形 深澤…球体 渡辺…円すい 宮舘…台形 阿部… 雪の結晶 理由:理解ができない不思議な形なのにきれい。 だけど強そう。 岩本…ティラノサウルス 深澤…カニ 渡辺…ネコ 宮舘…ペガサス 向井…アリクイ 目黒…オオカミ ラウ…ホッキョクグマ 阿部… テトラポット 理由:何に使うのか普通の人じゃ理解できないの、阿部ちゃんは。 ・メンバーと記念写真を撮るならどこへ行く? 岩本…富士急 深澤…USJ 渡辺…ピューロランド 宮舘…夢の国 向井…ナガシマスパーランド 目黒…プールのあるテーマパーク ラウ…花やしき 阿部…阿部ちゃんとは…あえて 遊園地とかテーマパークの真反対がいいので、阿部ちゃんの家で対戦系のゲームをします(笑)。 ・俺から見たメンバーってこんなヤツ! 岩本…筋肉の人 深澤…顔が大きい人 渡辺…美容の人 宮舘…貴族の人 向井…関西の人 目黒…クールな人 ラウ…足が長い人 阿部…勉強が好きな人。 いつも前に出てるわけじゃないけど、出番が来たときのハデさがある人。 岩本…箸 深澤…おたま 渡辺…ナイフ 宮舘…大皿 向井…スプーン 目黒…フォーク ラウ…アイススプーン 阿部… コンセント 理由:まあ、それがあってやっとみんな動き出せるんですよ。 岩本…軟骨の唐揚げ 深澤…ヤングコーン 渡辺…肌ツルツルのそうめん 宮舘…サラダ 向井…美味しいハンバーグ 目黒…たくあん ラウ…たこ焼き 阿部… ナスカの地上絵 理由:不明 岩本…トランペット 深澤…スチールドラム 渡辺…鉄琴 宮舘…和太鼓 向井…アコースティックギター 目黒…コントラバス ラウ…タンバリン 阿部… マンホール 理由:なんで丸いのか、理由を教えてもらわないとわからない、ナゾな感じが阿部ちゃんっぽい 余談ですが、わたしはこの佐久間くんの発言を鬼マウント川柳と呼んでいます。 Myojoのやつ(雑紹介)は脚色でもなんでもなく、本当に7人に対してはそれぞれ記載している一言のみだった。 …この系列、全部並べると圧が本当にすごい。 独特のマウントでアベンジャーズを結成する男。 ・裏話編 テレビ誌とかドル誌とか。 『キスまで~選手権』阿部&佐久間対決はスタッフの説明を聞いて「 チューしちゃっていいってことね?」と答えた阿部に一同から「違う違う(笑)」と総ツッコミ!(2015. 9 POTATO) 阿部くんがソロコメントで歯磨きのことを話していると佐久間くんが乱入し「阿部ちゃんの歯磨き30秒でしょ~」。 それを聞き「おい!歯科助手の息子だぞ!」と阿部くん。 もっと丁寧に磨いていると佐久間くんに抗議していました。 (2018. 3 TVガイド) 阿部くんは座談会中おにぎりを食べつつ、横で落ち着きのない佐久間くんをなだめたりツッコんだり。 撮影中も「あむ、あむ」をやり続ける佐久間くんを隣でにこやかに見守っていました。 (2018. 12 TVガイド) 阿部&佐久間の撮影では、「佐久間、髪の毛からいいにおいする。 (2019. 6 POTATO) 佐久間くんの「3色ショッピング」については、こちらも是非感想を聞こうと意気込んでいたのですが、阿部くん自らお話ししてくれました。 (2019. 7 TVガイドPLUS) 座談会では、猫に詳しい佐久間くんが大活躍!隣の阿部くんと共にいろいろ解説しながら進めてくれました。 そんな2人は佐久間くんが阿部くんに毛糸を巻き付けて遊んだり、佐久間くんが阿部くんの横で寝っ転がったりと仲良しな様子でした。 (2019. 12 TVガイド) ・myojo ・snowman ・開封するころには32才かーと呟くジョニーデップ ・ではなく深澤 ・その近くでは ・ 佐久間と阿部がカタカナのツの書き方で小競り合い ・これは完全にカタカナのシ ・あべさく(2020. 1 Myojo) (noteの仕様でハッシュタグをそのまま記載できないので中黒を代わりに使用しています) 佐久間くん&阿部くんペア。 こちらがオーダーする前から、ソファーに仲良く体育座りして、頭をごっつんこ。 息ぴったり!阿部くんが佐久間くんの肩に顔を寄せるショットでは、佐久間くんが悪い顔で舌なめずりする場面も。 (2020. 4 テレビステーション) ソロコメ中も一緒にいることが多かった阿部くん&佐久間くん。 佐久間くんが岩本くんと深澤くんのキャッチフレーズをつけ「いいの出ちゃった~笑」と阿部くんに報告。 阿部くんも「いいじゃん笑」と答えたりとなんだか可愛らしいお2人でした。 (2020. 1 TVガイド) ……裏話のあべさくって一際しんどくない?しんどいよね。 (1番最後の)デビュー日の時のやつは読んだ時に軽く涙が出た記憶があります。 感受性が豊かだからかな。 その時のページ内でライターの方がふたりを描写したこの文章も、何度見ても息が詰まりそうになる。 全文ずっとしんどすぎてすごく大好きなテキスト。 もはやテキストというか文献越えて専門書。 マフラーも阿部くんがくるくると佐久間くんに巻きうれしそうに密着。 笑い声が絶えない2人ですが、雪だるまの似顔絵を描き出すと途端に静かに。 黙々と描き進めできあがりを見せ合い「かわいい!」「似てる〜」「佐久間めちゃくちゃうまい!」などと言い合っていました。 ・その他 ・メンバーに家庭教師をするなら誰? 佐久間。 みんなで受けてる中国語の授業でも、わかったときのよろこびが大きくて教えがいがありそう。 【阿部】 佐久間に「うしろ、向いて!」とお願いした阿部ちゃん。 「何なに!?」ととまどう佐久間に「うなじ撮るから髪ちょっと上げて」とリクエスト。 好きな角度があるようで、「よし、ここ!」と一発でキレイに撮ってくれました。 ・オレの好きな愛方 阿部は「頭の形が好き」と言いながら佐久間の頭を撮影。 続いて佐久間は阿部のズボンをめくり、 ヒザの裏にあるホクロをパチリ。 ・忘れ物が多い人は? 「阿部ちゃんは新幹線のチケットを網のところに忘れる。 この島あげるから生き残ってみろよ、みたいな。 ・阿部ちゃんの第一印象 覚えてない(笑)!もうなんか 当たり前にいすぎたな。 」 阿部「( すごくうれしそうに)お前よく漢字を知ってんな!?」 佐久間「( うれしそうに)へへへ。 そういう根気強さがあるんじゃないかと」 深澤「こういうコメントですよ!」 佐久間「そうだよ、誰だよ、身長とか髪色の話したやつ!」 一同「…(阿部を見る)」 佐久間「めっちゃ面白かったよ!」 阿部「褒められた!?(笑)」 阿部ちゃんはね、ライブの時、様子がおかしい(笑)。 起伏が激しい、っていうか、常にテンションは高いんだけど、そこからさらに盛り上がるタイミングが、よく分かんないの(笑)。 急すぎて、「お、どうした(笑)!?」ってなる。 でもきっと、それだけ楽しいんだろうなって思うから、そのままでいてほしい(笑)。 【佐久間】 ・お互いの直してほしいところ 阿部「楽屋でふたりで使ってる机に、ストローの袋とかが置きっぱなしになってる」 佐久間「今言われて気づいたわ」 阿部「毎回だから、ホントに無意識なんだね」 佐久間「阿部ちゃんは怒るタイミングがよくわからない。 (隣にいた翔太が「やっぱIQがオレらと違うから」) 佐久間「 でも何で怒ってるのか伝えてほしい」 阿部「俺は佐久間の運転する車に乗ったことはあるよ」 佐久間「お互いあるよね。 阿部ちゃんの運転は 俺の家から駅までの間の一瞬だったけど!」 携帯をかまえる佐久間のうしろに、そっとスタンバイした阿部。 佐久間が大きな声で元気よく「はい、チーズ」と声をかけて撮影。 撮り直す人が多い中、2枚でOKという息ぴったりなふたりでした。 ・番外編 デビュー曲ので優しい素材を使われてるのはこのふたりだけ。 優しい素材っていう情報すごくいいよね。 以上、厳選した好きなあべさくでした。 読後にじわじわと脳髄を蝕んでくる甘さが好きなのが大バレしてる。 公的な視聴手段がないので9時間の話は省いたけど、なんかあれも毎秒すごかった。 炸裂って感じだったね…。 敢えて意図的にカロリー高めの内容は記載しなかったんですけど、軽いやり取りだけで容易く1キルできるのでやっぱりとんでもないキルリーダーだと思います。 割愛したけれど、お互いの知識に助けられてるところとか、お互いのいないところで「阿部ちゃん/佐久間なら分かるのにな」とか思ってしまうところとか、乗車しているバスがあべさんの母校方面へと向かうとあべさんが学生時代に学んでいた内容を思い出して話し始めるとか、生配信中かつ全員が揃っている場で突然ふたりだけの会話が始まるとか、ラジオ中話の脈略をガン無視してハワイ旅行のエピソードを話しだすところとか、保護眼鏡を見て「これ阿部ちゃんが研究室でつけてたやつ」って言い出すとか…まあ 後半は全部さくまくんが急に言い出してるだけなんですけど。 あべさんの首から肩にかけての場所をまるで自分のものとでも思っていそうなさくまくんが好きです。 FC会報 1のメイキング動画も鬼過ぎてなかなか嚥下できなかった。 なんかもうピックアップし出したらキリがないくらいしんどい要素があるのすごいよね。 こわい。 こわいとかわいいでこわいい。 …あります?あまりにもニッチすぎるから表に出さないのかな。 めちゃくちゃ良いことなのに変な脈打ちが止まらない。 駆け巡るアドレナリンってこういうことなんですかね。 なべさくの人、なんかごめん。 おわり P. の「佐久間余裕だよ」の声色が好きすぎて狂ってしまう人を集めて集会を開きたい ・自分が女性ならSnow Manで付き合いたい人 心を許せる仲間・心友の阿部ちゃん。 仲の良い友達に「男でも女でも好き」って言えてしまうのはすごすぎる。 改めてこうしてエピソードをさらっていくと、なんというか、このふたりに纏わることは本当にすべて(少なくとも可視化される範囲内は)事実なのだなと思わされます。 あべさんの壁の話だって、正直に教えてくれる。 こちらから見えているふたりが常に真実だからこそ、わたしたちは彼らに容易く命の手綱を握られるのだろうなと思いました。 わたしはね。 これからも最高にクレイジーでいてください!燃え尽きるまでLet's get crazy〜 ほんとにおわり.

次の