舩後 ふ な ご 靖彦。 舩後 靖彦

「特定枠」とは? れいわ新選組・舩後靖彦さんらが比例代表で利用(参院選)

舩後 ふ な ご 靖彦

れいわ新選組の舩後靖彦氏と山本太郎 【当確㊗️】 ふなごやすひこ(全国比例区・特定枠1)🎉 — れいわ新選組(東京選挙区は「野原ヨシマサ」全国比例は「山本太郎」と書いてください!) reiwashinsen 参院選の比例代表(改選数50)で、政治団体「れいわ新選組」が1議席の確保を確実にし、介護が欠かせない重度身体障害者の舩後靖彦氏(61)=特定枠1位、新人=が当選を確実にした。 舩後氏は、商社マンだった41歳で全身の筋力が低下する難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を発症。 自力でほとんど体を動かせず、意思疎通には特殊な機器が必要だ。 現在は、介助者の助けを借りながら看護・介護サービス会社の副社長を務める。 国会の現状では、重度身体障害者が通常の議員活動をするのは困難とみられ、幅広いバリアフリー化が求められそうだ。 引用元: 公式サイト 冒頭でも述べましたが、れいわ新選組の特定枠1位で衆議院選に当選した舩後靖彦氏は、重度の身体障害を患わっています。 そんな舩後靖彦さんの学歴や経歴を調べてみました。 名前:舩後靖彦(ふなご やすひこ)• 生年月日: 1957年10月4日• 出身: 岐阜県• 高校: 千葉県立千葉南高等学校• 大学: 拓殖大学政治経済学部• 特技:ギター演奏• 職業:介護会社役員・ギターリスト・政治家 舩後靖彦さんは1957年10月4日生まれで現在61歳です。 岐阜県に生まれ幼少期を過ごし9歳より千葉県に移住した後、現在も千葉県松戸市常盤平に住んでいるそうです。 地元の 県立千葉南高等学校を卒業し、 拓殖大学政治経済が部に進学。 大学卒業後はプロミュージシャンを目指すものの、夢は叶わず挫折。 1982年(当時24歳)の時に、 酒田貿易時計に就職しました。 商社マンとして営業部に配属された舩後靖彦さんは、高級腕時計やダイヤモンを扱う仕事に従事。 入社当時はバブル期ということもあり、不動産や貴金属などの高額商品が飛ぶように売れたそうです。 さらに 「バブル崩壊後も8年連続で6億円以上」の売上を叩きだしたそうですから、本当に優秀な営業マンだったようです。 そんな順風満帆な人生をおくってきた舩後靖彦さんでしたが、41歳の時に異変が生じます。 ALS(筋萎縮性側索硬化症) 2000年5月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されます。 2005年5月に「ALS」という病気である事を告知された 舩後靖彦さんの全身は麻痺し、2001年には呼吸筋が衰え期間を切開し声をだせなくなってしまいます。 胃に直接チューブを通し、流動食を流し込む『胃ろう』が必要な重度の状態になり、 一時は自ら命を断つことも考えたそうです。 ALSを患いながらも会社役員として活躍 重度のハンデを負い、当初はかなり落ち込んだ舩後靖彦さん。 入院中に医師からの薦めもあり 同じハンデをもつ患者さんの悩みや不安を解消するため 「話を聞いたり、アドバイスする活動」をはじめた 舩後さん。 コンピュータを使って患者さんとの会話をする事を通し『徐々にやり甲斐や希望』を持つ事ができるようになった舩後靖彦さんに再び転機が訪れます。 『生きる目的や意味』を持てるようになった舩後靖彦さんは、持ち前の行動力を発揮し精力的に活動を開始。 2004年4月: 株式会社ケアドゥの相談役に就任(愛知県名古屋市の訪問介護事業会社)• 2005年3月: 「地域生活を支援する会ふわふわ」の会長に就任(千葉県市原市)• 2012年: 株式会社アースの副社長に就任(千葉県松戸市)、サービス付き高齢者向け住宅『サボテン六高台』の名誉施設長として経営に参加。 それだけでなく、 執筆活動や講演活動も行い健常者の時よりも忙しく充実した日々を送っているのかもしれません。 さらに、政治家としても活動を始め、2014年には千葉県松戸市の市議選に立候補。 残念ながら選挙結果は 落選となりましたが、ますます元気に活動する姿は注目を集め、 今回は山本太郎氏が率いる『れいわ新選組』より参議院選挙にも挑戦することになり、見事比例1位で当選しました。 これまでの比例代表は、各党が獲得した議席の枠の中で、名簿にある候補者が得た個人名票の多い順に当選する仕組み、いわゆる「非拘束名簿式」です。 特定枠は、この非拘束の候補者の名簿と切り離して、政党が「優先的に当選人となるべき候補者」に順位をつけた名簿をつくります。 特定枠の候補は、個人名の得票に関係なく、名簿の順に当選が決まります。 この特定枠を使うかどうか、また使う場合、何人に適用するかについては、各政党が自由に決められます。 一方で、特定枠の候補は、選挙事務所を設けたり選挙カーを使ったりするなど個人としての選挙運動は認められていません。 選挙の結果、特定枠の候補の名前が書かれた票は、政党の有効票となります。 しかし 「れいわ新選組」の山本太郎さん本人は、残念ながら落選。 国会議員はつぶしが利かないといわれていますし、選挙に落選すると ただの人になっています。 次回の衆議院選に出馬すると思われますが、衆議院議員の任期満了は2021年10月21日。 下手をすれば 2年以上も無職になる可能性もあります。 しかし、流石にそこも考えていたようですよ。 山本太郎氏は、政見放送の中で既に介助者の本会議への入場について言及しています。 前議員バッジで自由に出入りできない本会議場・委員会室の傍聴席以外の議員席への介助者のアクセスを既に問題提起済みなのです。 賢いでしょう? — Koji Matsui 松井孝治 matsuikoji 山本太郎さんは選挙に当選したら党首として自由に活動できます。 仮に落選しても二人の候補者 「舩後靖彦」「 木村英子」の介護者として登院し、スポークスマンになろうと考えているたようです。 というのも、今回の選挙で 政党要件を満たせば、議員でなくとも維新の松井一郎代表のように「非議員の党首」として党首討論に参加できるんです。 公職選挙法上 「政治団体が政党として認められるには」 現職国会議員5人以上、もしくは直近の衆院選か参院選で全国での 得票率2%以上のいずれかを満たす必要があります。 全国での得票率2%以上を確保するには、現状は約120万票獲得すればいいと言われています。 山本太郎さん率いる「れいわ新選組」は、すでに150万票以上集めていますので政党要件は満たしております。 ということは、 「れいわ新選組」の山本太郎さんは 「得票率2%を達成できれば、自分が落選しても問題ないと考えていたはずです。 介護者として「つい添え」できれればいいので、選挙戦は案外ゆったりしていたのかもしれません。 今後の政治活動に関しても「参議院選挙」でこれだけ注目を集めたのだから、マスコミに注目されない事はありえませんので十分に目立つことができます。 これが山本太郎さんが描いた「れいわ新選組」の戦略ならなかなかの策士かもしれませんね。

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れ新・舩後議員「重度障害児が普通高校受験して不合格にされた。教育機関の敗北だ。断じて許せない!」

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6月17日、150日間にわたる通常国会が閉会しました。 新型コロナウイルス感染拡大に伴い、多くの国民が不安や困りごとに直面するなか、舩後靖彦は、国会議員として職責を果たすべく、取り組んでまいりました。 以下、舩後による閉会を受けたコメントと短歌を掲載いたします。 国会の静かなるは三日間 のちには怒声 弾 ( たま )となり飛び 1月20日に始まった通常国会。 はじめは息の音も聞こえるほどに静かでした。 ところが、いつのまにかヤジが弾丸のように飛び交う、さながら戦場の様相を呈していました。 「大臣やめろ!」のヤジには、マスクの裏でニヤッとしてしまいました。 しかしながら、「国会のヤジはあだ花(実を結ばない花)」と申しますとおり、いまの所「大臣やめろ!」とヤジられた数々の大臣で、やめた人はいません。 腹は 据 ( す )わっているようです。 法案の賛否を決めるコツぞ知る 知らねばならぬ裏の利益者 全法案ではありませんが、それが決められれば多額の利益を得られる企業、あるいは個人がいます。 私はこれから、そうした存在の監視役にならねばならないとの自覚に至っております。 これからも、その道を全うしている『れいわ新選組』を宜しくお願い申し上げます。 国会もあっという間に閉会に メンバー粘り乗り切り感謝 事務所メンバー(秘書・介助者)の奮闘により、初の通常国会、並びに委員会もこなすことが出来ました。 私としては、彼ら・彼女らに感謝せずにはおられません。 そんな私の思いをのせ、短歌を一首 詠 ( うた )ってみました。 彼ら・彼女らの、労をいとわない努力がなければ、私の短歌の調子も暗くなっていたことでしょう。 感謝!!!.

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年間6億円のトップセールスマンから「障害者」に。舩後議員が語る、幸せの掴み方

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舩後靖彦参議院議員は、難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者であり、人工呼吸器を装着していて、声を発することも難しい。 だが、自身の考えや思いを文章にして、代読者などを通じて発信している。 政治家としては「障害の有無を問わず、誰もが幸せになれる社会づくり」をビジョンに掲げ、政策提言などを行っている。 Forbes JAPANの連載では、舩後議員のインタビューで、知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた殺傷事件について、自身の経験からその背景について探った。 後編では、舩後自身がALSを発症してから現在に至るまで、どのように「幸せ」を掴み取ってきたか、半生を振り返る。 働き盛りだった42歳の夏、突然のしびれ 舩後は1957年に岐阜市で生まれ、10歳ごろから千葉に引っ越した。 高校時代からギターに熱中し、友人と一緒にバンド活動に明け暮れていた。 大学卒業後は、時計や宝石を輸入する専門商社で働き始めた。 仕事にも熱中し、輸入したダイヤモンドの加工販売などで年間6億円もの売り上げがあった。 1986年に結婚し、その3年後に長女が生まれた。 それから約10年。 働き盛りだった42歳の夏、突然箸や歯ブラシ、ペンがうまく握れなくなり、脱力感や腕のしびれなどを感じるようになった。 翌年の2000年5月にALSと診断された。 当時トップセールスを誇っていた舩後だが、ALSを発症したと知って会いに来てくれた同僚は、わずか4人だけ。 「多くの同僚たちが、実社会から陥落した私を、憐れみの目で見ていたのだと感じました。 この時点で、同僚たちは自分の優位性に浸っていたのかもしれません」。 そして舩後は、どん底から社会復帰を目指したという。 その道のりは、自らが「障害者が健常者との距離を縮めるため」歩んできたと振り返る。

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