ランブール兄弟 ベリー公のいとも豪華なる時祷書。 リンブルク兄弟

リンブルク兄弟

ランブール兄弟 ベリー公のいとも豪華なる時祷書

《ベリー公のいとも豪華なる時祈書》 1月 年が明け、新しい年が始まりました。 宮殿での新年にお祝いの宴が開かれています。 暖炉の火の前に座っている男性こそが、この《 ベリー公のいとも豪華なる時祷書》を作らせた注文主。 フランス国王の弟である、 ジャン1世(ベリー侯) 1340-1416 です。 他の月に比べても、この『1月』の挿絵は一際鮮やかな色彩が目を引きます。 ベリー侯の背後に見える円形のものは暖炉の火よけです。 火よけと ベリー侯をこの位置関係で描いたのは、 聖人のように表現し、パトロンを称えるためだったのでしょう。 左上の金色の文字は、 ベリー侯の言葉です(漫画の吹き出しのようになっています)。 ここでは「 近う 近う」と気さくな言葉をかけています。 画像出展元:ホームページ「」より ここには挿絵を描いた画家の姿もあります。 注文主である ベリー侯に腕を買われ、召し抱えられた ランブール兄弟です。 ベリー侯は美術品の収集やパトロンになるなど、この時代の 最も有力な芸術の支援者でした。 貴金属や工芸品、写本などに多くのお金をかけ、「時祷書」も複数持っていました。 この《 ベリー公のいとも豪華なる時祷書》は、その中でも最高の出来栄えでした。 この時代、犬は食卓に同席できる気高い動物でした。 ですので食卓の上には子犬の姿や、お裾分けにありついた犬の姿が見られます。 2月/ベリー公のいとも豪華なる時祷書 《ベリー公のいとも豪華なる時祈書》 3月 3月になりフランスでも少しずつ寒さがぬるんできます。 冬の間農作業ができなかった農民たちも忙しくなっていきます。 男性が牛に鋤 (すき)を引かせて、土を起こしています。 深く掘り起こす事で、空気をよく含んで豊かな実りをもたらしてくれるのです。 ここではブドウの木の手入れが行われています。 木の周りの土の入れ替えと、枝の剪定がされています。 これらは3月の大事な仕事です。 城の左側に目をやると雲行きの怪しい空が見えます。 これはこの時期の天候が変わりやすく、間もなく雨が土を潤すことを意味しています。 右側の塔の上には黄金の龍の姿が。 これは メリジェーヌという名の妃が、 龍にその姿を変えて城を守るという伝説を表しています。 いかがでしたでしょうか、《 ベリー公のいとも豪華なる時祈書》。 そこには現代のフランスと大きく変わりのない人々の暮らしが描かれていました。 「 世界で一番美しい本」には今と変わらない人々の 日常の美しい暮らしが描かれていました。 最後までご覧頂きありがとうございました。

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ビブリオポリ

ランブール兄弟 ベリー公のいとも豪華なる時祷書

概要 [編集 ] 206葉で、1頁のサイズが29x21cm。 とはが用いる祈祷文、賛歌、暦などからなる聖務を記した日課書のことである。 それぞれ私的なものであり、各人が趣向をこらして作成することがあった。 中でも本書はの傑作でもあり、最も豪華な装飾写本として評価が高い。 多くの写本を集めたジャン1世の依頼で、15世紀始めにによって制作が始まったが、に両名が死去したため一時中断し、同世紀の終わりにようやく完成した。 ジャン1世が制作させた(または制作を開始させた)時祷書は6部以上現存している。 他に所蔵「ベリー公の美わしき時祷書( Les Belles Heures du Duc de Berry)」というのもあり、この方が早く(1413年以前)制作され、ランブール兄弟が完成させている。 また、「ベリー公のいとも美わしき聖母時祷書」は、トリノ市立図書館とに分蔵されているが、作の画を含むと推定され、美術史上重要である。 歴代所有者 [編集 ] この時祷書はジャン1世の死後、第5代に継承され、出身の職人ジャン・コロンブの手で1485年から1489年頃に完成したと考えられている。 さらに第8代サヴォイア公が1504年に没すると、妃がこれを相続する(サヴォイア公位はフィリベルト2世の異母弟が継承)。 しかしその後、時祷書の行方はしばらく分からなくなる。 次に姿を現した時には、の銀行家でありセストおよびベネフロ侯爵、そしてロス・バルバセス侯爵でもあるスピノラ家の所有物であった。 なぜ同家がこの書を所有していたのかは定かではないが、一説によれば、17世紀初頭の当主が、から、を経て継承戦争へと転戦する中で入手したとも言われるが、アンブロジオの代にスピノラ家はの戦費不払いによって破産を経験しており、このような高価な品の入手が可能であったかどうかは意見が分かれるところである。 ともかくこの時祷書は、フランス王の四男がにで購入する。 それからしばらくはシャンティイ城に所蔵されていたが、にはオマール公爵家からに寄贈され、現在はにある附属図書館に非公開で所蔵されている。 ギャラリー [編集 ]•

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美術文芸誌『ヴェルヴ』07号

ランブール兄弟 ベリー公のいとも豪華なる時祷書

生涯 [ ] 兄弟の祖父はヨハンネス(Johannes de Lymborgh)といい、おそらく(現在の・の町)からの首都ナイメーヘンへ移ったとされる。 ヨハンネスの息子アルノルトは公国の宮廷で、木彫り職人として働いていた。 1385年頃、アルノルトは公家お抱え画家の、申し分ない一族の出身の妻メヒテルトを娶った。 ヘルマン(1385年頃生まれ)が長男で、続いてポル(フランス語の文献ではPolleke、Polequinという記載もある。 1386年か1387年生まれ)、ヨハン(1388年頃生まれ。 フランス語の文献ではJohanneke、Jacquemin、Gillequinとも記載あり)が生まれた。 さらにその下には弟ルトヘル(Rutger)とアルノルト(Arnold)、妹グレタ(Greta)がいた。 1398年頃、父アルノルトが亡くなり、兄弟は、当時のフランスとブルゴーニュ宮廷で最も重要な画家、叔父によって送り出された。 ヘルマンとヨハンは、で金細工工芸を学んだ。 1399年終わりに彼らはナイメーヘンへ戻ったが、その頃戦争に巻き込まれていたで捕らえられてしまった。 兄弟の母は身代金を払えなかった。 地元のが彼らの身代金にあてるため金を集め始めたが、すぐにブルゴーニュ公が、お抱え画家である彼らの叔父ヤンに免じて身代金を支払った。 2人の少年たちは1400年5月に解放された。 現存する記録から、1402年2月にポルとヨハンがフィリップ豪胆公と契約し、4年間をかけ高級な聖書の装飾の仕事にかかった。 議論の余地もなく、リンブルク兄弟の最初の作品であった。 兄弟が作品を完成する前に、豪胆公が死んだ。 ヘルマン、ポル、ヨハンはのち1404年に、死んだ豪胆公の兄の元で働きだした。 彼は、芸術、特に本の贅沢な収集家であった。 兄弟の最初の課題はの装飾をすることであった。 これが現在所蔵の『ベリー公の美しき時祷書』(Belles Heures du Duc de Berry)である。 この仕事は1409年に完成し大いにベリー公を満足させた。 ベリー公は、時祷書のためのさらに野心的な計画を兄弟に命じた。 たぶん世界一価値のある本であろう。 これはフランス・(の町)にあるに所蔵されている。 ポルは特にベリー公と仲が良く、宮廷内で私的随行員valet de chambreの地位を与えられていた(叔父ヤンもブルゴーニュ宮廷で同じ地位を与えられていた)。 ベリー公はポルに、宝石との邸宅を与えた。 ポルは若い女性ジレット・ラ・メルシエールに恋をしたが、彼女の両親は賛成しなかった。 ベリー公はジレットを閉じこめ、王の命令があった時だけ自由にした。 1411年、ポルとジレットは結婚した。 しかし結婚生活で子供に恵まれなかった(結婚当時花嫁は12歳、花婿は24歳であった)。 1416年初め、ベリー公と、リンブルク兄弟が死んだ(兄弟は少なくとも30歳を超えていた)。 死因は不明である。 『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』は未完成のまま残された。 時祷書がの所有となった時、確認できない芸術家(おそらくであるといわれる)が1440年代に有名なこの暦を完成させる仕事に関わった。 1485年には、の物となっていた時祷書をが完成させた。 リンブルク兄弟の作品は、大部分が目につかなくなり、19世紀まで忘れ去られていた。 それにもかかわらず彼らはミニアチュール絵画のかなたに発展した、次世代の画家らの手本となった。 兄弟は北ヨーロッパの伝統のもとで仕事をしたが、からの影響が見られない。 脚注 [ ] [].

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